- 2020/01/11
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探偵小説思い出話
新青年ではじめて探偵小説の懸賞募集をやったのは昭和何年であったか、戦災による罹災で書籍や参考記録の一切を焼いてしまった私の手元では、今はっきりと判らないが、何でも枚数は五十枚、賞金は一等五百円であったかと思う。
その時故人夢野久作さんの『押絵の奇蹟』と私の『窓』が当選した。この発表にさきだって応募作品全部の題名と作者の氏名が発表されたが、何でも応募総数 は四百編位であったと思う。ところが、その応募者総覧のなかに私の氏名が見当らぬ。郵送の途中紛失したものか、或は編輯部でどこかにまぎれこんでしまった ものか、私は作品に折角自信を持っていただけに残念でたまらず、直接編輯部へ書面で問合せたところ森下雨村氏から返事があって「貴作は優秀作として入選し ている、応募者総覧に漏したのは作品を名古屋在住の選者小酒井不木氏に送付後あの総覧を作ったので題名と、作者名が判らず出たら目の名で編輯を終ったもの である」との返事に接した。
一等に相当する作品がなく夢野さんと私のものが何れも二等ということで賞金を半分ずつ貰ったと覚えている。私の『窓』がさきに選者の感想と共に発表され た。江戸川乱歩氏が大変に私の作を支持して下さって相当の高点を与えて下さったが甲賀三郎氏がずいぶんシンラツで選者中一等点が辛かったと記憶している。 甲賀氏と云えば氏と私に就て、も一つこれに似たことがあった。それは読売新聞で一五〇回の小説を懸賞募集したことがあり、それに応募した私の作品に対し選 者白井喬二氏が相当の高点を与えて支持されたに反しやはり選者であった甲賀三郎氏の点が非常に辛かったため遂に落選の憂目を見たことがあった。私の『窓』 に続いて翌月の「新青年」に夢野久作さんの『押絵の奇蹟』が載った。この作品を見たとき私は全く驚いてしまった。賞選作としては私の『窓』が第一席という ことになっていたのであるが、私の作なぞとても足もとにも寄れぬ優れた作品で、その時すでに私は夢野さんが大作家の質を備えて居られることを感じ恐れをな した次第であった。次で「新青年」で同時当選した者として一度手紙でも出して見ようかと幾度も思ったのであったが、作品から受けた私の「オジケ」た気持が それをなし得ず一度の文通もせず氏は故人となられた次第である。